La Boheme 観劇
ラ・ボエーム 2019.3.30
@音楽ビアプラザ 銀座ライオン
パリの古いアパルトマンで一緒に暮らす若者たちの悲しい青春物語。
聞くところによるとこの作品のオマージュであのRENTが書かれたとのこと。
まだ見ていない愚かさを嘆きつつ、チェックリストに入れておく。
テーマとなっている「ボヘミアン」についてWikipediaで調べてみた。
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19世紀の中ごろ、フランスの小説家アンリ・ミュルジェールが『ボヘミアン生活の情景(Scènes de la vie de bohème)』の序文で、
「ボヘミアン」とは定職を持たない芸術家や作家、または世間に背を向けた者のことであると宣言した。
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1960年代以降、これが「自由奔放な生活」と解釈されるようになり、ヒッピーブームに流れていくのだが、
表題であるボエームは前述の小説から引用されており、私自身も通った、もしくは通ろうとした「夢に全てを捧げた人達」のことを指している。
と、ここまでを事前情報として舞台を見てきた。見ながら、ミミのアリア以外は全て初見だと気付く。
演者の技術には何も言わない。好みも大きいし、何よりおこがましい。
ビアプラザの新人企画で演者が若手ということもあり、字幕や演出と相まって、より入り込みやすく、よりわかりやすい舞台となっていた、とだけ。
その上で感情豊かにキャラクターが描かれ、話の起伏も心地よく、
また激しく心を揺さぶられる、腹の底がグッと押し出されるような脚本だった。
正にかつての自分がそこにいるような、無鉄砲に、身勝手に、若さで若さを楽しみながらも、
イビツに、純粋に、信じる夢を追いかける青春群像がそこにあった。
進んでいるのか、停滞しているのかもわからないまま、ただ目の前のことを楽しみ、決断し、絶望し、また楽しむ。
今となっては綱渡りの冗長な生活と見えてしまう、その中に確かにある、確かにあった「リアル」を映し出していた。
喜劇になるほど楽観的ではなく、悲劇になるほど悲観的ではないキャラクターが描く日常と希望と絶望がセンセーショナルに綴られていた。
これが演劇だったならば、悲劇だろう。
「オペラ」であったことが、日常を唄い、希望に歓び、絶望に哭いていたことが、キャラクターたちの作る物語をより「リアル」にしていた。
キャラクターごとに同じメロディで語る言葉、
場面ごとに同じ音楽で表現する関係性が、
より陰影を際立たせて深さとなる。
所々で気付かされるリフレインは、嫌でも過去に思いを馳せるトリガーとなって、より舞台に引き込まれる。
歌は歌詞でなく言葉、音楽は伴奏ではなく感情である事が強く感じられ、もっとオペラを観たいと思わされる、企画者の思惑にハマってしまった演目だった。
演出、演者に感謝。